岐阜地方裁判所御嵩支部 昭和34年(わ)8号 判決 1959年7月30日
被告人 木村岡次
大一二・八・二五 農業
主文
被告人を懲役八月に処する。
未決勾留日数中百二十日を右本刑に算入する。
但しこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、猶予の期間中、保護観察に付する。
本件公訴事実中、小藤学に対する脅迫の点につき、被告人は無罪。
訴訟費用は五分し、その四を被告人の負担とする。
理由
被告人は昭和三十年三月十六日岐阜地方裁判所御嵩支部において、恐喝・傷害・暴行・銃砲刀剣類等所持取締令違反の罪により懲役一年二月(五年間刑執行猶予)および罰金五千円に処せられたものであるが、
(一) 昭和三十二年五月中旬頃の午後八時頃岐阜県美濃加茂市山之上町中之番山之上農業協同組合宿直室において、農協事務員山田秋雄に対し、些細なことに因縁をつけて立腹し、右平手にて同人の顔面部附近を殴打して暴行し
(二) 同年十一月三日午後八時頃同市山之上町南坂番地不詳木村貢方において、農業木村明男に対し、同人が行動を共にしなかつたのに憤慨し、湯呑茶碗を同人の頭部附近に投げつけて暴行し
(三) 同三十三年六月十日頃の午後七時頃同市蜂屋町上蜂屋千八百六十四番地酒向源蔵方前鳥小舎附近において、農業酒向質に対し、些細なことに憤慨し、手拳にて同人の顔面部附近を一回殴打して暴行し
(四) 同年八月三十日午後五時頃岐阜県加茂郡川辺町中川辺五百四十番地加納鉎三方前附近において、自動車内にいた農業高野喜友が帰路を急いだことに立腹し、同人を車外に引ずり下ろして、手拳にて、同人の右顔面部を一回殴打して暴行し
(五) 同年九月二十四日午後六時頃美濃加茂市山之上町中之番山之上農業協同組合事務所前附近において、事務員鹿野政則に対し、原動機付自転車の貸与方を申入れて断られたのに憤慨し、所持していた洋傘にて、同人の左顔面部を一回殴打して暴行し
たものである。
(証拠略)
なお、弁護人は先ず、本件各事実が心神喪失ないし心神耗弱の状態における所為であると主張し、被告人が本件当時夕刻になると、いつも、冷やの焼酎を一合入りのガラスのコツプにて三杯ないし五杯を呑み、時には日に二回飲酒することもあつて、高度の酩酊状態を発呈し、判示(四)の事実については、「うすうす記憶があり」、その余の事実については、「記憶がない」という被告人の公廷供述ないし検察官調書における供述記載を指摘するものである。成る程、(1)被告人は兵隊に入る頃には、平気で「高粱酒をビール瓶に一杯位」を飲み、終戦になると、沖縄ではアルコールを水で半々にうすめ、軍隊の湯呑み一合入り位のものにて四、五杯を呑み、帰還後一週間位経つと、朝鮮人のやみ酒を飲み初め、五、六年前から連日二合ないし五合位の焼酎を飲用するに至つた大酒家であつて、隣人からは飲酒すると、「話がくどくなり、声もきつくなつて、気が少し変になる」(証人木村明男の公廷供述)などと警戒されてはいるが、(2)判示各所為の酩酊状態に関する所見としては、判示(一)の事実につき、被告人が酒を飲んでいたと思い駐在所に逃げたこと(証人山田秋雄の公廷供述)判示(二)の事実につき、「謝罪したのに湯呑を投げたり、私を追い廻わしたり、逃げたのにわざわざ私方まで来て乱暴したことから考えても正体のないほど」酔つていなかつたこと(木村明男の検察官調書)判示(三)の事実につき、被告人が「酒の臭いもしなかつた」こと(証人酒向質の公廷供述)、判示(四)の事実につき、大して酔つていなかつたこと(証人高野喜友の公廷供述)、判示(五)の事実につき、言葉は聞きとれ、足取りは千鳥足でなく、殴ると歩いて行つた(証人鹿野政則の公廷供述)という事実が認められる。然し、右所見事実からは、けだし、被告人が心神喪失ないし心神耗弱の精神状態を発呈したという結論を導くことは困難であろうと思われる。のみならず、(3)精神鑑定書の記載によると、被告人は生来性発揚情型精神病質者であつて、全体に、内的衝動憎悪を理知的に抑制しておらず、情緒的に防衛しているが思考抑制が弱い為に衝動に流れ易い人間像を示し、自己に不利となるか、不快を生ぜしめる場合には、容易に憤怒の情が湧き、精神病質的傾向を露呈することが明かにされている。かくて、被告人は、鑑定人の問診に対し、(イ)一面、大量飲酒後における犯行に関係する事実については、記憶がないと簡単に片づけるのではあるが、被告人の行動は全体として秩序があり又余りに奇嬌、支離滅裂なる点は認められず、換言すれば、意識溷濁下における行動とは考えられず、被告人の記憶欠損の主張は計画的であるが、飲酒後における深い睡眠による忘却に外ならぬものと推断することが出来るものである。(ロ)他面、被告人は犯行に関係のない一般的事象については気軽に物語るのであつて、その内容につき検討すると、被告人は焼酎三、四合(或は五合という)程度までの飲酒量では自己の態度ないし行動を或る程度まで自覚しているものゝ如く、「その態度行動には一定度まで秩序が保たれており、その酩酊状態は、さほど、高度のものではなく、意識溷濁なく、正常酩酊、第二度、即ち、高々高等感情の鈍麻を呈する程度と考えられる。」叙上(1)ないし(3)の事実を綜合して省察すれば、鑑定の結果に示す如く、本件各所為当時、被告人の酩酊状態は精々心神耗弱に近い精神状態にあつたことが窺はれ、到底、心神喪失ないし心神耗弱の精神状態に該るものとは考えられない。従つて、弁護人の主張は採用しない。
次に、弁護人は被告人の司法警察員調書は任意にされたものではない疑いがあるから、証拠能力がないと主張し、被告人自身、「酒癖の悪いということは知つており、又人からも言はれており」、従つて、司法警察員より、「殴つたろうと言はれれば、そうかも知れんと思つて、いいようにしておいて呉れ」と言つたことから、右調書における自白の供述記載がなされたという被告人の公廷供述を指摘するものである。成る程、被告人の自白は司法警察員調書において、明示さるゝに止まり、被告人の検察官調書および公廷供述においては、判示(四)以外の事実につき、酩酊状態における所為であつて記憶がないという趣旨を以て、貫かれている。のみならず、精神鑑定書によると、前示(2)の(イ)記述の如く、鑑定人に対してすら同一態度を示している。従つて、専ら、かかる視角から観察する限り、司法警察員調書における被告人の自白については、一応、その任意性に関する疑惑を感じるであろう。然し、(1)証人後藤犬太郎の公廷供述によると、(イ)被告人は昭和三十四年二月七日司法警察員の取調に際し、「この事件を契機に酒もやめ又髭も剃りたい」と申出て、道具を借受けて、自分で髭を剃り落したこと、(ロ)「犯行は酒を飲んでがなつてやつたもので」あるが、「殴つた事実は大体認めた」こと、(ハ)右調書は、「飽くまで本人の供述に基いて」同月六日より九日までの間に作成されたものであること、(ニ)取調が終ると、「よく判るように読み聞け……特に間違いがあれば、訂正すると念を押して、間違いがないということで、署名捺印し」たことが認められるだけでなく、(ホ)妻に面会したいというので、面会させると、「妻の手を握つて、自分はこれまで悪いことをして肩身の狭い思いをさせたが、この通り髭も剃つたし、今後は酒もやめて、部落の人達からつまはじきされないようにすると言つて更生を誓つた」事実が窺はれる。のみならず、(2)被告人は同月五日午前九時加茂警察署に引致され、同月九日午前十二時同署に勾留され、次いで、同月十日御嵩拘置支所に移監されているが、判示(二)ないし(五)の事実は同月七日附司法警察員調書において、判示(一)の事実は同月九日附同調書において、夫々自白の供述記載がなされている。更に、(3)鑑定の結果を斟酌すると、被告人の本件犯行時における酩酊状態は前示の如く、心神耗弱者に近い精神状態にあつたものと認定することが出来る。叙上(1)ないし(3)の各事実を綜合すると、前示検察官調書以後、換言すれば、被告人が御嵩拘置支所に移監された以後における被告人の犯行に関する事実の記憶なしとする供述部分は到底、措信するに値しないものであることが看取され、這般の司法警察員調書における自白の任意性はこれを肯認するに足りる。従つて、弁護人の論旨は理由がない。
更に、弁護人は公訴事実中、追起訴状における第二の事実につき、犯意がないから無罪である旨を主張するので、判断を示す。けだし、右公訴事実については、被告人の司法警察員調書(昭和三十四年三月九日附)によると、「小藤学と言う五十一、二才の……人は農協の貯金係」で「私と別段仲の悪い人ではありません。矢張り私が酒を呑みその上でつい何時もの性分が出て乱暴して了つたのです。」(四項)「このときは……昼の三時頃、酒を呑んで、よい気嫌になり、別に迷惑をかけるつもりではない」が「酔つて、大声で山之上の農協に行き……小藤学さを捕えて二人で焼酎をのみ……その時……持つていた庖丁を小藤さに“突然突きつけ”ました、勿論突き刺すつもりはありませんし又傷もつきませんでした。少し先が当つたのか、学さは“痛い”とか言いましたので私は“何んじやい”と言つてそのまゝまた焼酎をのんでそれ以上乱暴はしませんでした」(五項)とあり、また、被告人の公廷供述では、「別に脅迫する気持はありませんでした」とあり、更に、証人小藤学の公廷供述によると、被告人は山之上農協の組合員であるが、「昨年八月十五日頃……午後二時半頃に子供を連れて事務所へ入つて来られ、外の職員達に出刃庖丁を見せておられましたが、……外の職員は木村さんの声が大きくて仕事が出来ないので早く帰宅し、私一人責任上残つており、……木村さんと雑談していたら、突然腰にさしていた出刃庖丁を取り出して私の胸の辺に突きつけられ、」「左の胸に針を刺す程度のいたみを感じ、」「唯こわいと思いました。」「どうして左様な事をされたのか原因は判りません」が「相当酔つておられました。」出刃庖丁を突きつけられただけで、「威し文句は何も言はなかつた」から、「酒を飲んでの一時の気まぐれであるかの様にも思いました。」とあつて、その証拠たるに値する資料は以上に尽きる。謂うまでもなく、叙上の如く、たとえ、知り合う間柄ではあつても、雑談中、突如、出刃庖丁を胸の辺に突きつけるという事実があれば、それが、「酒を飲んでの一時の気まぐれ」だとか、戯れだとかの事情が判明せざる限り、脅迫したものと推断を下すのが吾々の常識である。然るに、本件の場合、右証拠によると、被告人が「酒を呑み……つい何時もの性分が出て乱暴をして了つたので」あつて、被告人が相手に対し、庖丁を「突然突きつけ」てはいるが、「突き刺すつもり」も、「脅迫する気持」もなく、また、「威し文句は何も言わなかつた」ばかりでなく、相手が「痛い」と言うと「何んぢやい」と言つてやめ、それ以上の乱暴はしなかつたと言う事実が認められる。この事実によれば、這般の常識的推断が覆されて、被告人には脅迫の意思のなかつたことを肯認するに足りるのであつて脅迫罪の成立することなきは勿論である。而して、その反面、暴行罪の成立する場合のあることは、自らこれとは別個の問題である。従つて、弁護人の主張は理由がある。
右認定の事実に法律を適用するに、被告人の判示各所為は、刑法第二百八条に該当するところ、所定刑中各懲役刑を選択し、以上同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文第十条により、犯情最も重いと認める判示(五)の罪の刑に法定の加重をなし、その刑期範囲内において、被告人を懲役八月に処し、同法第二十一条により未決勾留日数中百二十日を右本刑に算入することとし、なお、(1)本件が証人後藤犬太郎の公廷供述によると、被告人の居住する山之上町南坂部落約四十戸の住民に対する暴力事犯の排除という見地から検挙されたものであること、(2)被告人は鑑定の結果によると、生来性発揚情型精神病質者であることが明らかにされ、被告人の判示所為が酩酊による自己中心的、自己感情の亢進ないし飲酒以前における自尊心の損傷に由来すること、(3)被告人の飲酒癖は既に、成年以前に形成されており、酩酊状態に入るときには、這般の精神病質と相俟つて、高等なる心的官能殊に制止作用が侵され、刺戟性が強まる結果を露呈することおよび(4)被告人は前示の如く、暴力事犯によつて、懲役刑に処せられ、その執行猶予中にあることなど、好ましからざる情状を孕むものではあるが、その反面、(1)被告人は前の裁判言渡後には、医師の指示に従い嫌酒剤を連用し或は灸を据えて禁酒えの努力をした形跡が窺われること、(2)酩酊による失敗を苦にしては、山中にて農薬を服用して自殺企図に及ぶなど、悔悟の念慮をもちながら、連日嗜酒痛飲をなしていたこと、(3)被告人の酒癖矯正には絶対禁酒の外に真の療法はなく、これに失敗すれば、心身衰廃して落伍者に帰するという現実については、凡そ、六月に及ぶ未決勾留期間において、この間の消息を内省すべき機会を持ちえたものと認められること、(4)証人の公廷供述によると、被告人は平素「良識を持つた人」であるが、「酒を飲むと気難しい人に変る」(証人鹿野政則)、「酒を飲まないと良い人だが、酒を飲むと悪くなり人が近づかない」(証人酒向質)ことが看取されることおよび(5)前示南坂部落では役員会および部落の総寄りにて、被告人のため、歎願書を作成することに決め、留守中の松並ぶんを除き、部落全体がこれに署名捺印していること(証人高井伊夫の公廷供述)等をも併せ考えると、刑責につき寛解ないし斟量すべき情状が多分に含まれているものと認められるので、同法第二十五条第二項および第二十五条の二第一項後段により、この裁判確定の日より、四年間右刑の執行を猶予し、その猶予の期間中保護観察に付することにし、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により、これを五分し、その四を被告人に負担させることにし、而して、本件公訴事実中、被告人は昭和三十三年八月中旬頃岐阜県美濃加茂市山之上町中之番山之上農業協同組合事務所において同組合職員小藤学と雑談中、突然所持していた出刃庖丁を同人の胸部に突きつけて脅迫した(追起訴状記載第二の事実)との点は、前示の理由により、その証明不十分であるから、同法第三百三十六条により、その証明がないものとして無罪の言渡をする。
よつて、主文の通り判決する。
(裁判官 斉藤法雄)